2026年10月1日から、病院・クリニックを含むすべての事業主に、カスハラを防ぐための雇用管理上の措置が義務になり(労働施策総合推進法第33条第1項、令和8年厚生労働省告示第51号)、患者やその家族の言動も対象です。医療で考え方が変わるのは、告示が、業法でサービス提供の義務が定められている場合や、サービスが途絶えると顧客等の生命や心身の健康に重大な影響が及ぶ場合があることに留意するよう求めている点です(告示4、p.12)。そこで方針には、職員を守る対処と、その患者を診療するかどうかの判断を、分けて書いておきます。
診療するかどうかは、医師法の応招義務について厚生労働省が示した通知(医政発1225第4号)で考えます。通知は、患者に緊急対応が必要かどうかを最も重要な考慮要素とし、迷惑行為によって診療の基礎となる信頼関係が失われている場合には、新たな診療を行わないことが正当化されると整理しています(1(3)、p.2〜3・2(2)①、p.4)。
この記事は、医療機関が決めることを、応招義務との関係と外来・病棟・救急・訪問の場面に絞って整理します。義務になる措置の全体はカスハラ対策の義務化で、業種を問わない現場の初動はカスハラが発生したら?初動対応で扱っています。
医療機関で押さえておく前提
告示が定める措置の中身は、病院でも診療所でも変わりません。そのうえで、医療で特に関わりが大きいのは次の点です。
- 患者と家族は「顧客等」に入る。 告示は、顧客等に施設の利用者(病院などを例示)を含め、例として施設・サービスの利用者とその家族を挙げています(2(4)、p.4〜5)。
- 医師・看護師・事務職員の全員が対象。 告示の「労働者」は、パートタイム労働者や契約社員を含む、雇用する労働者の全てです。派遣を受け入れている場合は、派遣先としても自院の職員と同様に措置を講じる必要があります(2(3)、p.3〜4)。
- 病棟・電話・患者の自宅も「職場」。 カスハラには対面のものに加え電話やSNS等のものも含まれ、業務を遂行する場所であれば顧客の自宅も「職場」に当たります(2(1)・2(2)、p.3)。訪問看護や訪問診療も含めて考えます。
数字で見ると、厚生労働省の令和5年度の実態調査(従業員30人以上の企業・団体が対象)では、過去3年間に顧客等からの著しい迷惑行為の相談があった企業の割合が最も高い業種は「医療、福祉」で53.9%でした(調査結果の概要 PDF p.20)。介護などの福祉を含む区分です。
厚生労働省は2019年の情報提供で、過労死等防止対策白書の分析から、医療では看護師・准看護師・看護助手が精神障害となる事案の割合が高く、暴言・暴力を受けたことが関連していた事案が一定数あると医療機関に伝えています(医政総発0228第1号ほか p.1〜2)。
応招義務とカスハラ対策の関係
医師法第19条第1項は、診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ拒んではならないと定めています(医師法)。通知はこの義務を、医師が国に対して負う公法上の義務で、患者に対する私法上の義務ではない、と整理しています(1(1)、p.2)。あわせて、医療機関も、医師個人の応招義務とは別に、正当な理由なく診療を拒んではならないとしています。
通知が挙げる考慮要素は、最も重要な患者の緊急性(病状の深刻度)のほか、診療時間・勤務時間の内か外か、患者と医療機関・医師の信頼関係です(1(3)、p.2〜3)。次の表は、通知の整理と、それを方針に落とすときに決めておく点を並べたものです。右の列は編集部の整理で、個別の患者について診療しないことが正当化されるかどうかは、事案ごとに顧問弁護士等に確認してください。
| 場面 | 通知の整理(医政発1225第4号) | 方針で決めておくこと(編集部の整理) |
|---|---|---|
| 緊急対応が必要・診療時間内 | 専門性・診察能力、設備、他の医療機関による医療提供の可能性等を総合的に勘案し、事実上診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化される(2(1)①ア) | 迷惑行為があっても診療が続く前提で、職員を守る手段(複数名での対応、警備員、警察への通報)を決める |
| 緊急対応が必要・診療時間外 | 応急的に必要な処置をとることが望ましいが、原則、公法上・私法上の責任に問われることはない。直接来院した場合は、必要な処置を行ったうえで救急対応の可能な病院等に依頼するのが望ましい(2(1)①イ) | 時間外に来院・連絡があったときに判断する人と、依頼先の医療機関 |
| 緊急対応が不要・診療時間内 | 原則として必要な医療を提供する。ただし緊急対応が必要な場合に比べて、正当化される場合は信頼関係等も考慮して緩やかに解釈される(2(1)②ア) | 診療するかどうかを判断する人(医師・管理者)と、判断の根拠の記録 |
| 緊急対応が不要・診療時間外 | 即座に対応する必要はなく、診療しないことは正当化される。時間内の受診依頼や他の医療機関の紹介等が望ましい(2(1)②イ) | 時間外の電話や来院への案内の仕方 |
| 患者の迷惑行為 | 迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合(例:診療内容そのものと関係ないクレーム等を繰り返し続ける)には、新たな診療を行わないことが正当化される(2(2)①) | 迷惑行為の記録の残し方、判断の手順、患者への伝え方と他の医療機関の紹介 |
| 医療費の不払い | 以前の不払いのみを理由に診療しないことは正当化されない。支払能力があるのに悪意をもってあえて支払わない場合等は正当化される(2(2)②) | 未払いの確認と督促の手順 |
表を使うときに、あわせて押さえておく点です。
迷惑行為があっても、緊急時は別の整理になります。 通知は、迷惑行為や不払いの事例であっても、緊急対応が必要な場合は2(1)①の整理により、緊急対応が不要で診療時間外の場合は2(1)②イの整理による、としています(2(2)、p.4)。救急の場面では「迷惑行為があるから診ない」という扱いにせず、診療を続けながら職員を守る手段を先に決めておきます。
対象は「新たな診療」です。 通知の言い方は、信頼関係が失われた場合に新たな診療を行わないことが正当化される、です。入院中の患者については別の項目があり、医学的に入院の継続が必要ない場合の退院は正当化され、病状に応じた他の医療機関の紹介・転院も原則として正当化されるとしています(2(2)③、p.4)。
属性だけを理由にはできません。 年齢、性別、人種・国籍、宗教等のみを理由に診療しないことは正当化されないとされています(2(2)④、p.4)。
告示の「特に悪質なもの」への対処も、医療では法令の範囲で考えます。 告示は、特に悪質と考えられるものへの対処の例として、警察への通報、警告文の発出、法令の制限内において商品の販売・サービスの提供等をしないこと、出入りの禁止などを挙げ、各業法等の定めなど業種・業態で必要な対応が異なる場合があることに留意しつつ、状況に応じた方針を定めることが効果的としています(4(4)、p.22〜23)。厚生労働省の企業マニュアルも、各業法の規定の趣旨や、福祉・医療分野等の性質に留意して適切に対応する必要があるとしています(p.19)。出入りの禁止を方針に定めても、事案ごとに方針に基づいて講じるかどうかを判断します(解釈事項 問15、p.20)。
受付の職員や看護師がその場で「今後は診療しません」と告げる形にせず、判断する人を医師・管理者に決めておくのが、編集部の提案です。応招義務を負うのは医師個人で、医療機関としての判断も要るためです(通知1(1))。現場の職員には、判断を仰ぐ先と、それまで一人で対応しないことを周知します。
外来・病棟・救急・訪問:場面ごとに決めること
告示は、対処の内容の例として、管理監督者等へ直ちに報告して指示を仰ぐこと、可能な限り一人で対応させないこと、やり取りの録音・録画、十分な説明のうえで繰り返しの要求が続く場合に一定時間の経過で退店を求める・電話を切ること、犯罪に該当し得る言動の警察への通報などを挙げ、各事業主が実態に応じて定めるよう求めています(4(1)ロ、p.14〜15)。次の表は、医療の場面ごとの手がかりと、自院で決める点を並べたものです(右の列は編集部の整理)。
| 場面 | 公的資料の手がかり | 自院で決めること |
|---|---|---|
| 受付・会計・待合(待ち時間への怒り、大声) | 大きな声をあげて労働者や周囲を威圧することは、社会通念上許容される範囲を超えた言動の例(告示 p.8)。発生の原因や背景に接客等の問題やコミュニケーションの不足もあると留意する(告示 p.12) | 応援を呼ぶ合図と駆けつける人、待ち時間の案内の仕方 |
| 電話(同じ問合せの繰り返し、長時間) | 電話で行われるものも含む(告示 p.3)。十分な説明のうえでなお繰り返しの要求が続く場合、一定の時間の経過で電話を切る(告示 p.15) | 何分で区切るか、区切る判断をする人、録音の告知 |
| 病棟・夜勤 | 夜勤中に患者から暴行を受けた看護師について、ナースコールが鳴ったら担当外でも直ちに応援に駆け付けることを周知徹底すべき注意義務があったとして、病院の安全配慮義務違反を認めた裁判例(こうかん会事件) | 夜勤帯の応援の呼び方と、担当外でも駆け付ける決まり |
| 救急外来 | 緊急性が最も重要な考慮要素(通知1(3))。暴行・傷害・脅迫など犯罪に該当し得る言動は警察へ通報(告示 p.15) | 警備員・警察へ通報する基準と、診療を続けながら職員を守る配置 |
| 訪問看護・訪問診療 | 顧客の自宅も「職場」(告示 p.3)。訪問看護師の防犯機器の整備に、地域医療介護総合確保基金の補助が活用できる場合がある(厚生労働省) | 一人で訪問するかどうかの基準、緊急時の連絡手段、訪問を見合わせる判断をする人 |
| 性的な言動 | 性的な要求は許容範囲を超える言動の例(告示 p.6)。セクハラの「性的な言動」を行う者には、患者やその家族もなり得る(解釈事項 問40、p.49)。顧客等の性的な言動はカスハラ防止指針に基づいて対応し、セクハラ防止指針も参照する(問28、p.34) | 担当の交代、セクハラの相談窓口との連携 |
| SNSへの投稿・撮影 | 悪評の投稿をほのめかす脅し、プライバシーに係る情報の投稿、盗撮や無断での撮影は許容範囲を超える言動の例(告示 p.8) | 院内での撮影の決まりの掲示、投稿を知ったときの報告先 |
裁判例の詳細と、ほかの公的資料の場面はカスハラ事例集で整理しています。こうかん会事件では、患者の暴力を完全に防ぐことは難しくても、周りが応援に入る仕組みを作っていなかった点に責任が認められた、と厚生労働省のサイトの解説は述べています(裁判例を見てみよう 第71回)。
録音・録画は、個人情報の保護に関する法律等を守って行うことが前提です(告示 p.14〜15)。発生時の報告から事実確認・再発防止までの流れはカスハラ対応フロー図で、記録に残す項目はカスハラの証拠・記録の残し方で扱っています。